健康の総合情報
【インタビュー】あの時の決断が、子どもたちを支援する大きな力に〜認定NPO法人キッズドア理事長 渡辺由美子さん〜
貧困家庭の子どもたちに学習支援を提供する活動を展開する、認定NPO法人キッズドア理事長の渡辺由美子さん。57歳(2021年12月現在)の今でも子どもの貧困問題に向き合い、アクティブに走り続けています。そのキャリアの過程にはさまざまな決断があったとのこと。その決断の背景にある思いや、第一線で活躍し続けるための健康の秘訣を伺ってみました。
プロフィール
渡辺由美子さん/認定NPO法人キッズドア理事長
千葉県千葉市出身。千葉大学を卒業後、大手百貨店、出版社 を経て、フリーランスのマーケティングプランナーとして活躍。配偶者の転勤に伴い1年間のイギリス駐在を体験した後、2007年に任意団体キッズドアを設立(2009年にNPO法人化)。「日本のすべての子どもが夢と希望を持てる社会へ」をビジョンに掲げ、小学生から高校生世代の貧困家庭の子どもたちを対象とした無償の学習会の開催やキャリア支援などの活動を、東京とその近郊、宮城などで展開している。内閣府「子供の貧困対策に関する有識者会議」構成員など国の有識者会議等の委員も務める。
「すべての子どもが夢と希望を持てる社会へ」
「日本の教育って、勉強も運動もできて、お友達にも恵まれている優等生タイプをつくろうとしてきたよね。でも、実際にはのび太もジャイアンもスネ夫もいる。それぞれの個性を認めてあげるのが本当の教育だよね!」
――東京・八丁堀のオフィスに、元気な声が響きわたります。この日、若手スタッフと打合せをしていた渡辺さん。20代の若者ともフラットな目線で接し、意見に耳を傾け、時に笑い合う姿はとても若々しい印象です。
渡辺 「渡辺さんっていつも笑っていますよね」とよく言われます(笑)。確かに、貧困家庭の子どもを支援する活動の中でシビアな課題に日々直面していますが、だからといって暗い顔で人と接していると、相手も暗くなってしまいますよね。子どもたちや保護者の皆さまには、私たちの活動を通じて少しでも元気になってほしい。だからこそ、代表である私自身がまずは率先して笑顔でいようと心がけています。
――貧困家庭の子どもが成人して再び貧困に陥る、いわゆる「貧困の連鎖」を断ち切るには、高校や大学への進学率を高めることが重要。そのために、子どもたちが夢をあきらめず、学び続ける機会を提供する「子どもと社会をつなぐドア」が、キッズドアのミッションです。
その活動の中心は、支援の必要な子どもたちを対象とした無償の学習会。2020年度は東京のほか千葉、埼玉、宮城で延べ4,881回の学習会を開催。受講した小中高生は全国で約1,500人に上りました。2007年の活動開始以来、キッズドアで学習支援を受けた子どもたちは15,000人近くになります。
渡辺 特に2020年度は新型コロナウイルスというピンチもありましたが、これを機にオンラインでの学習支援にも注力しました。それによって多くの子どもたちに学習機会を届ける可能性が広がったことは大きな収穫でしたね。
――東京・八丁堀のオフィスに、元気な声が響きわたります。この日、若手スタッフと打合せをしていた渡辺さん。20代の若者ともフラットな目線で接し、意見に耳を傾け、時に笑い合う姿はとても若々しい印象です。
渡辺 「渡辺さんっていつも笑っていますよね」とよく言われます(笑)。確かに、貧困家庭の子どもを支援する活動の中でシビアな課題に日々直面していますが、だからといって暗い顔で人と接していると、相手も暗くなってしまいますよね。子どもたちや保護者の皆さまには、私たちの活動を通じて少しでも元気になってほしい。だからこそ、代表である私自身がまずは率先して笑顔でいようと心がけています。
――貧困家庭の子どもが成人して再び貧困に陥る、いわゆる「貧困の連鎖」を断ち切るには、高校や大学への進学率を高めることが重要。そのために、子どもたちが夢をあきらめず、学び続ける機会を提供する「子どもと社会をつなぐドア」が、キッズドアのミッションです。
その活動の中心は、支援の必要な子どもたちを対象とした無償の学習会。2020年度は東京のほか千葉、埼玉、宮城で延べ4,881回の学習会を開催。受講した小中高生は全国で約1,500人に上りました。2007年の活動開始以来、キッズドアで学習支援を受けた子どもたちは15,000人近くになります。
渡辺 特に2020年度は新型コロナウイルスというピンチもありましたが、これを機にオンラインでの学習支援にも注力しました。それによって多くの子どもたちに学習機会を届ける可能性が広がったことは大きな収穫でしたね。
イギリスで気づいた「社会で子どもを育てる」ことの大切さ
――1964年、千葉県に生まれた渡辺さん。大学を卒業後、大手百貨店でキャリアをスタートします。当時は男女雇用機会均等法の施行後で、渡辺さんは女性総合職の先駆けでした。
渡辺 マーケティングや販売促進の仕事を担当していました。その頃は日本経済も元気でしたし、会社にも女性に率先して仕事を任せる気運があったので、若いうちから大きなプロジェクトに携わる機会に恵まれました。
――その後、出版社勤務を経てフリーのマーケティングプランナーへと、順調にキャリアを重ねていった渡辺さん。しかし、結婚、出産を機に一度キャリアから離れます。
渡辺 それまでは残業もいとわず働いていましたが、その分認められることが楽しかったんです。でも、子どもを産んだ時に、認めてくれる人がいなくなった。これだけ社会と断絶されるんだ……と寂しさを感じましたね。
――絵に描いたようなキャリアウーマンから一転、子育ての日々で孤立感を抱いていた渡辺さんに、大きな転機が訪れます。配偶者の転勤に伴い、2人の子どもを連れてイギリスに渡ることになったのです。
そのイギリスで、今日の活動につながる大きな体験が渡辺さんを待っていました。
渡辺 息子をイギリスの小学校に入学させる際に「何を用意すればいいでしょうか?」と聞いたら、「何もいりませんよ。連絡帳が入るバッグだけ持たせてください」と言うんです。
日本の小学校ではランドセルに筆記用具と、公立でもお金がかかりますが、イギリスの小学校ではほとんどが無償で提供され、そのほかに必要なものも学校が寄付を募るなどをして集めていました。イギリスには社会で子どもを育てる仕組みがあるんだ……と感動しました。
渡辺 マーケティングや販売促進の仕事を担当していました。その頃は日本経済も元気でしたし、会社にも女性に率先して仕事を任せる気運があったので、若いうちから大きなプロジェクトに携わる機会に恵まれました。
――その後、出版社勤務を経てフリーのマーケティングプランナーへと、順調にキャリアを重ねていった渡辺さん。しかし、結婚、出産を機に一度キャリアから離れます。
渡辺 それまでは残業もいとわず働いていましたが、その分認められることが楽しかったんです。でも、子どもを産んだ時に、認めてくれる人がいなくなった。これだけ社会と断絶されるんだ……と寂しさを感じましたね。
――絵に描いたようなキャリアウーマンから一転、子育ての日々で孤立感を抱いていた渡辺さんに、大きな転機が訪れます。配偶者の転勤に伴い、2人の子どもを連れてイギリスに渡ることになったのです。
そのイギリスで、今日の活動につながる大きな体験が渡辺さんを待っていました。
渡辺 息子をイギリスの小学校に入学させる際に「何を用意すればいいでしょうか?」と聞いたら、「何もいりませんよ。連絡帳が入るバッグだけ持たせてください」と言うんです。
日本の小学校ではランドセルに筆記用具と、公立でもお金がかかりますが、イギリスの小学校ではほとんどが無償で提供され、そのほかに必要なものも学校が寄付を募るなどをして集めていました。イギリスには社会で子どもを育てる仕組みがあるんだ……と感動しました。
「子どもたちの支援に残りの人生をかけてみよう」
――1年間のイギリス生活を終え、帰国した渡辺さん。今度は日本の、子どもをとりまく現状に直面します。
渡辺 息子の小学校の同級生に、ひとり親家庭の子どもがいました。母親は朝から晩まで働いていて、授業参観にも顔を見せず、夏休みにもどこにも行けません。夏休みは私の家に毎日のように遊びに来ていました。
――そんなひとり親家庭の子どもを、息子と一緒に博物館などに連れていったりする中でふと、渡辺さんの中に疑問がわき上がります。
渡辺 私のもとにたまたま生まれ育った息子は、遊びや旅行に行く機会がある。でも、ひとり親家庭に生まれたその子どもにはそういう機会が与えられない……それって不公平なのでは? と気づいたんです。
世界的にも豊かな国といわれる日本にも、こういった子どもの貧困問題があるという事実に身近に接して、もう少し手立てはないのかな? と考えるようになりました。
――日本にはこういった貧困家庭の子どもをケアする制度や団体はあるのだろうか。しかし、いくら探しても見つかりません。「それなら自分で立ちあげよう!」 ――こうして、渡辺さんはキッズドアの活動を開始することを決意します。
しかし、当時の渡辺さんは2人の小学生のお子さんを持つお母さん。団体を立ち上げるのには大きな決断を要したのではないのでしょうか?
渡辺 そうですね……。でも、そこに合理的な判断があったというよりは、とにかくやってみよう! と。恵まれない環境の子どもたちを支援することに、残りの人生をかけてみようと思い立ったんです。幸い、主人も背中を押してくれました。
渡辺 息子の小学校の同級生に、ひとり親家庭の子どもがいました。母親は朝から晩まで働いていて、授業参観にも顔を見せず、夏休みにもどこにも行けません。夏休みは私の家に毎日のように遊びに来ていました。
――そんなひとり親家庭の子どもを、息子と一緒に博物館などに連れていったりする中でふと、渡辺さんの中に疑問がわき上がります。
渡辺 私のもとにたまたま生まれ育った息子は、遊びや旅行に行く機会がある。でも、ひとり親家庭に生まれたその子どもにはそういう機会が与えられない……それって不公平なのでは? と気づいたんです。
世界的にも豊かな国といわれる日本にも、こういった子どもの貧困問題があるという事実に身近に接して、もう少し手立てはないのかな? と考えるようになりました。
――日本にはこういった貧困家庭の子どもをケアする制度や団体はあるのだろうか。しかし、いくら探しても見つかりません。「それなら自分で立ちあげよう!」 ――こうして、渡辺さんはキッズドアの活動を開始することを決意します。
しかし、当時の渡辺さんは2人の小学生のお子さんを持つお母さん。団体を立ち上げるのには大きな決断を要したのではないのでしょうか?
渡辺 そうですね……。でも、そこに合理的な判断があったというよりは、とにかくやってみよう! と。恵まれない環境の子どもたちを支援することに、残りの人生をかけてみようと思い立ったんです。幸い、主人も背中を押してくれました。
決断力と笑顔で、子どもをとりまく問題に立ち向かう
――貧困家庭の子どもたちと社会をつなぐ「ドア」になろう――。志とともにキッズドアを立ち上げたものの、その歩みは「常に判断、決断の連続でした」と話す渡辺さん。とりわけ大きな判断、決断を伴った出来事として、2011年の東日本大震災を機に被災地の子どもたちの支援に乗り出したことを挙げてくれました。
渡辺 当時はまだ組織体制が小さく、私のほかに事務局長と数人のアルバイトスタッフだけ。そんな折に震災がありました。マンパワーが足りないのは明らかでしたが、支援を待っている被災地の子どもたちのことを思うと、動かないわけにはいきませんでした。
――甚大な被害を受けた宮城県南三陸町に、唯一の常勤職員だった事務局長を派遣して学習会を開催。東京での業務は残った渡辺さんがすべて引き受けました。
渡辺 40歳を過ぎて、まさかの徹夜も経験しました(笑)。でも、その時の決断があったから、今でも東北では「キッズドア東北」として活動が続いているんです。
――その時期にキッズドアの支援を受けた被災地の子どもたちも大人になり、社会のさまざまな舞台で活躍しているといいます。
渡辺 先日も、仙台でキッズドアの学習会を受けていた子が、短大を卒業して、複写機メーカーの営業社員として私たちのオフィスを訪ねてくれたんです。子どもたちが成長して活躍している姿を見られることが、私にとって何にも勝る原動力ですね。
渡辺 当時はまだ組織体制が小さく、私のほかに事務局長と数人のアルバイトスタッフだけ。そんな折に震災がありました。マンパワーが足りないのは明らかでしたが、支援を待っている被災地の子どもたちのことを思うと、動かないわけにはいきませんでした。
――甚大な被害を受けた宮城県南三陸町に、唯一の常勤職員だった事務局長を派遣して学習会を開催。東京での業務は残った渡辺さんがすべて引き受けました。
渡辺 40歳を過ぎて、まさかの徹夜も経験しました(笑)。でも、その時の決断があったから、今でも東北では「キッズドア東北」として活動が続いているんです。
――その時期にキッズドアの支援を受けた被災地の子どもたちも大人になり、社会のさまざまな舞台で活躍しているといいます。
渡辺 先日も、仙台でキッズドアの学習会を受けていた子が、短大を卒業して、複写機メーカーの営業社員として私たちのオフィスを訪ねてくれたんです。子どもたちが成長して活躍している姿を見られることが、私にとって何にも勝る原動力ですね。
無理は禁物。好きなことでストレス解消!
――NPO法人の理事長としての顔だけでなく、内閣府や厚生労働省などの有識者会議のメンバーも務めるなど、子どもの貧困問題の解消をめざして日々奔走する渡辺さん。とてもお忙しそうにみえますが、普段の心と体のケアはどうしているのでしょうか?
渡辺 まずは「無理をしすぎない」ということですね。代表である私が倒れてしまっては法人の活動に支障をきたしてしまいます。休みを取るときはちゃんと取って、「ちょっと体が辛いな」と思ったら少し横になる。ひとり親のお母さんの就労支援もしているので、お母さん方にも「辛かったら休んだほうがいいですよ」と話しています。
――それにしても、終始ニコニコした笑顔が絶えない渡辺さん。ストレスはないのでしょうか?
渡辺 普段から、ストレスの解消法をいくつか持っておくようにしています。私の場合は、とっておきの日にスイーツを食べることと、好きなアクションの映画やマンガを楽しむこと。それに「スキップ」はおススメです! スキップしながら悲しいことや辛いことを考えることってできませんから(笑)。
――確かに体と心はつながっているもの。スキップしていれば、それまで悩んでいたことなど忘れてしまいそうです。
イギリスでの生活、子育てしながらの団体設立、被災地の子どもたちの支援……渡辺さんの人生は決断に次ぐ決断の連続でしたが、今ではキッズドアは日本を代表するNPO法人のひとつになりました。
どんな場面でも笑顔を絶やさずにいたからこそ、渡辺さんのもとに人が集まり、子どもたちを支援する大きな輪が広がっていったのでしょう。これからのチャレンジも、その決断力と笑顔で乗り越えていくことを期待しています!
渡辺 まずは「無理をしすぎない」ということですね。代表である私が倒れてしまっては法人の活動に支障をきたしてしまいます。休みを取るときはちゃんと取って、「ちょっと体が辛いな」と思ったら少し横になる。ひとり親のお母さんの就労支援もしているので、お母さん方にも「辛かったら休んだほうがいいですよ」と話しています。
――それにしても、終始ニコニコした笑顔が絶えない渡辺さん。ストレスはないのでしょうか?
渡辺 普段から、ストレスの解消法をいくつか持っておくようにしています。私の場合は、とっておきの日にスイーツを食べることと、好きなアクションの映画やマンガを楽しむこと。それに「スキップ」はおススメです! スキップしながら悲しいことや辛いことを考えることってできませんから(笑)。
――確かに体と心はつながっているもの。スキップしていれば、それまで悩んでいたことなど忘れてしまいそうです。
イギリスでの生活、子育てしながらの団体設立、被災地の子どもたちの支援……渡辺さんの人生は決断に次ぐ決断の連続でしたが、今ではキッズドアは日本を代表するNPO法人のひとつになりました。
どんな場面でも笑顔を絶やさずにいたからこそ、渡辺さんのもとに人が集まり、子どもたちを支援する大きな輪が広がっていったのでしょう。これからのチャレンジも、その決断力と笑顔で乗り越えていくことを期待しています!